伝説 成田山を参詣しない江戸っ子
神田明神と築土神社の氏子達は、成田山を参詣しないと云う伝説があります。
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーが
伝えられている。これは朝廷に対して反乱を起した平将門を討伐する為、
寛朝大僧正を京都神護寺の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山
新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のためお護摩の儀式を行わせた即ち新勝寺参拝は
将門を苦しめる事となる為です。
同じく将門を祭神とする築土神社(つくどじんじゃ)にも同様の言い伝えがあり
成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こると伝えられています。
両神社共東京都千代田区にあります。
神田神社(神田明神)
祭神の三の宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。
築土神社(つくどじんじゃ)
祭神は平将門
討ち死にして京都で晒し首にされた平将門公の首をひそかに持ち帰り観音堂に祀り
津久戸明神としたのが始まり。