成田山情報

この項では、成田山のあまり知られていない情報なども

織り交ぜてアップしたいと思っています。

それぞれの項目をクリックしてレア情報を見つけて下さい。

例えば光輪閣と大本堂は地下通路でつながっている。 

下記リンクをクリックしてもOKです

     成田山の正式名称と講社       不動明王のご真言

    成田山の社会との関わり        成田山の御朱印 

    成田山境内の狛犬         開帳の記録

    成田山戦争の傷跡         成田山の節分会

    開基○○年祭            境内外周

    成田山のおみくじと絵馬         成田山の火災

    三学院 僧侶になるには       成田街道の歴史

    諸堂建立と移動・移設              納札堂(古いお札)

諸堂建立と移動・移設

 

成田山の国指定重要文化財

年代の古い順に

光明堂(1701年建立)            三重塔(1712年建立)

仁王門(1831年再建)

釈迦堂(1858年建立)            (1861年建立) 

昭和55年5月31日に五つの建物が同時に指定されました

 

光明堂

三重塔


仁王門

釈迦堂

額 堂


円形花壇には、平和の大塔横にあった灯籠がここに移設される予定でした。

しかしこの下は広い講堂になっていて、重量が重い灯篭は移設できませんでした。

この灯篭はどこに移設したのでしょうか?

これはモックアップです。 

 

成田山を参詣しない江戸っ子

 伝説 成田山を参詣しない江戸っ子

  神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーが

  伝えられている。これは朝廷に対して反乱を起した平将門を討伐する為、

  寛朝大僧正を京都神護寺の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山

  新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のためお護摩の儀式を行わせた即ち新勝寺参拝は

  将門を苦しめる事となる為です。

  同じく将門を祭神とする築土神社(つくどじんじゃ)にも同様の言い伝えがあり

  成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こると伝えられています。

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