成田山戦争の傷跡

*****戦争の傷跡*****

金属類回収令による供出

境内に残る数々の台座、上には何があったのだろうか?

天水桶や銅製の灯籠か?

成田山境内や成田山公園内にあった、銅像なども多数供出された。

 

仁王門の両サイドの台座

釈迦堂横(西側)の台座の数々

天水桶の台座と思われるが、ここに移設したようです。

 

1968年(昭和43年)迄使用していた梵鐘

この梵鐘は供出しなかった。

お寺の商売道具なので供出しなかったようです。

 

中興第十四世貫首  三池大僧正像

 

初代横須賀泉勝講講元  小泉岩吉氏像 

日露戦争の戦勝を記念して発足した[横須賀戦勝講]で、

岩吉氏は元総理純一郎氏の祖父又次郎氏の弟である。

1940年(昭和15年)供出されたが1955年(昭和30年)

小泉純也(小泉純一郎元総理の父)により再建された。

現在戦勝講は泉勝講と「戦」を「泉」に変更している。

 

この倶梨伽羅剣は古い台座の上に2008年に再建されたもの

 

  これは再建されたが、天水桶や灯籠などの台座のみが

   そのまま残っている物が境内には数多くある。 

戦前には鉄砲の弾から身を守る[身代り札]が流行 

成田山号と名ずけた戦闘機を海軍に献納

新勝号と名ずけた戦闘機を陸軍に献納

真珠湾攻撃の翌日には十万円を献納

 

当時の中興第十八世荒木照定貫首は積極的に戦争に協力したようです。