成田山に奉納土俵入りをした横綱

大鵬・栃ノ海・北の富士・輪島・北の湖・若乃花(二代目)・朝青龍の七横綱である。

 

48代目横綱大鵬が最初で68代横綱朝青龍迄

これ以降の横綱の土俵入りは2017年現在ありません。

稀勢の里の土俵入りも見たいですね。

成田山で奉納土俵入りをした横綱一覧

 

第48代横綱

大 鵬

北海道

二所ノ関

19619

21歳

19715

30歳

58場所

大本堂 地鎮祭

第49代横綱

栃ノ海

青森県

春日野

19641

25歳

196611

28歳

17場所

大本堂 地鎮祭

                 

 

第52代横綱

北の富士

北海道

九 重

19701

27歳

19747

32歳

27場所

光輪郭 地鎮祭 191

                 

 

第54代横綱

輪 島

石川県

花 籠

19735

25歳

19813

33歳

47場所

平和の大塔地鎮祭1981

第55代横綱

北の湖

北海道

三保ヶ関

19747

21歳

19851

31歳

63場所

同 上

第56代横綱

若乃花

青森県

二子山

19785

25歳

19831

29歳

28場所

同 上

                 

 

第68代横綱

朝青龍

モンゴル

高 砂

20031

22歳

20101

29歳

42場所

総 門 地鎮祭 2003

 

 

 

 

 

 

奉納土俵入りが披露されるのは、昭和56年に大塔地鎮祭の時

輪島、北の湖、若の花」(二代目)の三横綱が行って以来、25年ぶりだそうです。

 

ダウンロード
成田山で奉納土俵入りをした横綱
奉納土俵入りHP.pdf
PDFファイル 267.9 KB

成田山節分会で豆まきをした力士

ダウンロード
昭和44年から平成29年までに参加した力士
  節分会歴代参加力士.pdf
PDFファイル 171.4 KB
ダウンロード
高見山は14回参加しているが、二番目は稀勢の里である(2017年現在)
節分会参加力士 回 数.pdf
PDFファイル 128.5 KB

 

成田山を信仰した力士たち

***成田山を信仰した力士たち***

 小錦 八十吉(こにしき やそきち、1866- 1914年)は、

   上総国武射郡(現:千葉県山武郡横芝光町)出身の元大相撲力士。17代横綱

 

 常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、1874 - 1922年)は、

   茨城県東茨城郡(現・茨城県水戸市)出身の元大相撲力士。   19代横綱

   本名は市毛 谷右衛門(いちげ たにえもん)。

 

 鳳 谷五郎(おおとり たにごろう、1887 - 1956年)は、

   千葉県印旛郡大森村(現:千葉県印西市大森)出身の大相撲力士。24代横綱

 

 玉垣 額之助4代)(たまがき がくのすけ、(1784-1824年))は、

   肥前国高来郡(現在の長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。

 

 荒馬 大五郎(あらうま だいごろう、1793-1849年)は、

   下総国千葉郡馬加村(現在の千葉県千葉市花見川区幕張)出身で桐山部屋、

   大坂相撲の小野川部屋所属の元大相撲力士。          最高位は関脇

        2代目年寄宮城野を襲名

 

 荒馬 吉五郎(あらうま きちごろう、(1809-1854年)は、

    下総国葛飾郡(現在の千葉県船橋市)出身で宮城野部屋所属の江戸時代に活躍した           元大相撲力士。八戸藩のお抱え力士。本名は松本。 最高位は西関脇

 

 高砂 浦五郎(たかさご うらごろう、1839- 1900年)は、

    明治期に活躍した大相撲の力士・年寄。          最高位は前頭筆頭

    身長170cm、体重100kg。出身は上総国山辺郡(現在の千葉県東金市)

    本名は山崎(後に一時今井姓)伊之助(後に浦五郎)

    現在まで続く高砂部屋の開祖である。

 

 桂川 力蔵(かつらがわ りきぞう、1895-1955 )は

    大正時代の力士。入間川部屋所属。本名は根井蔵次郎

    青森県東津軽郡野内村出身。               最高位は東十両5枚目