開帳(かいちょう)には
[出開帳]・[居開帳]・[巡行開帳]の三種類があります。
(でがいちょう・いがいちょう・じゅんこうかいちょう) 読み方に注意
成田山は江戸時代に十一回の出開帳を行った。
出開帳や市川團十郎が「兵根元曽我」の芝居をうち
不動明王を演じた事により江戸庶民の人気を得る。
この様な事から江戸からの参詣者が増え成田山は人気のお寺となった。
当時の江戸庶民にとっては三泊四日の小旅行であったようです。
参道の旅館や食堂・土産物店との共存共栄
成田山では 宿坊を作らないことも、坊入り膳にご飯をつけないことも
参道の旅館やお店への配慮である。(明治時代にご飯を付けなくなりました)
また出開帳を行うと地元成田の参道のお店は参詣客が少なくなり売り上げが落ちる。
この様な事を考慮して成田山では出開帳の翌年などには
地元の商店街を潤す為に、居開帳を実施したようです。
出開帳の時は寺宝を、この中に入れて運びました。
江戸時代に使用された本物です。
中に入れる寺宝は勿論不動明王像です。
3~4日かけて深川永代寺八幡宮社寺迄運んだようです。
(何百人もの村人が交代で運んで行ったようで、その人数は
だんだん多くなり最後は千人余りとなった様です。)