総門右側の石碑
[成田山金剛王院新勝寺]
正式名称ではないが1707年京都大覚寺の直末になった時に
[成田山金剛王院新勝寺]称す常法談林の寺格を得た。
この時から使用していた名称であるが正式名称ではない。
正式名称は
成田山金剛王院神護新勝寺
この石碑は北海道より運ばれたもので、約一千万円したと言われています
総門の元請け大林組が寄進したものです。
弥勒寺離末証文
講社とは
同じ仏様や神様を信仰している人々でつくられた
団体のことで「講社」・「講中」とも呼ばれます。