国指定重要文化財 光明堂 1701年建立(元禄14年)
元禄の本堂とも呼ばれている、前の前の本堂です。
光明堂の棟札には[彫物師嶋村圓哲]の名前があります。
嶋村家の二代目圓哲は左甚五朗の再来といわれた名人でした。
光明堂の周りの素晴らしい彫刻も楽しんで下さい。
光明堂は山上に移築した時は東向きになっていました。
釈迦堂の様に回廊もありましたが再度後方に移動して
南向きにし又回廊も取り外して現在の様な形になりました。
堂内には自由に入る事ができます。
靴と帽子を脱ぐこと。 大きな声を出さないこと。
見学でなくお参りの心で静かに。
特に良縁を希望される方は堂内に入り
左側の不動明王から大日如来・愛染明王と
手を合わせ祈願することをお勧めいたします。
向かって左側から下記の様に奉安されています。
不動明王像 大日如来像 愛染明王像
不動明王像
大日如来像の左脇には小さい不動明王像が奉安されています。
愛染明王の御真言
オン マカラギャ バザラ ウシュニシャ バザラ サトバ ジャク ウン バン コク
光明堂正面中央左右には「カルラ」が
(英語・インドネシア語ではガルーダ)
光明堂の彫刻は名人と言われた
二代目嶋村圓鉄の作である。
本堂として使用時は[明王堂]と呼ばれていた。
この掲額は東大寺別当道恕上人の揮毫である。
光明堂スロープより見る
***ガルーダとは***
インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥。
ガルーダと言えば「ガルーダ・インドネシア航空」が浮かびます。
ガルーダはタイ王国やインドネシア共和国の国章になっています。
平成10年4月に築地魚河岸が奉納した額
1935年築地市場開場
魚市場が日本橋にあった時代に奉納した額
魚市場は1923年の関東大震災迄は日本橋にあった。
席亭や落語家の名前がある奉納額
愛染明王
獅子の冠をかぶり、宝瓶(ほうびょう)の上に
咲いた蓮の華の上に結跏趺坐(けっかふざ)で座っています。
また「縁結びの絵馬」の奉納もお勧めです。
1856年山上に移設時は東向きであった
光明堂の写真には階段が見えます。
この事から当時は回廊があった様です。
1963年再度後方に移設し南向きとした。
額堂と光明堂の距離が大きく離れています。
後方に移設したときに回廊を取り外した。
光明堂は2回移設しています。又飛び地にある薬師堂も2回移設しています。
天国の宝剣頂戴
***祇園会と祇園祭の期間のみ***
光明堂にて宝剣加持が受けられます。
写真の様に金襴の袋に納められた宝剣が、僧侶の手で
参詣者の身体に当てられ無病息災を祈願いたします。
朱雀天皇より授けられた、この刀は成田山の霊宝(寺宝)です。
光明堂の棟札
良く見ると二代目[彫物師嶋村圓哲]の名が
また中央には[成田山明王院神護新勝寺]とあります。
私はこの寺名が好きです。
この棟札に書かれている、寺名が正式名称と思います。
しかし
成田山には二つの寺名があります。
成田山の別の寺名
【成田山金剛王院新勝寺】
嶋村圓鉄のお墓
左甚五郎の再来と言われた名人嶋村圓鉄
成田山の光明堂や三重塔の十六羅漢は圓鉄の作
嶋村圓鉄のお墓は茨城県桜川市の雨引観音(雨引山楽法寺)にあります。
嶋村圓鉄のお墓にお参りしてきました。 2017年6月撮影
墓石中央には無関圓鉄の印刻
真言宗豊山派の寺院である楽法寺境内に、ひっそりと眠っています。
薪 能
光明堂前で毎年5月の第三日曜日の前日行われます。
有料・午後六時開演