1722年建立 1809年再建
一 切 経 堂
以前は堂内に入り輪蔵を回すことが出来ましたが、現在は立ち入り禁止です。
火頭窓は前側四面は江戸時代の作で後側四面は2010年の作です。
一切経蔵の扁額
「白河楽翁」といわれた松平定信の筆によるものです。
文化11年(1814)揮毫 ・ 彫工柴田喜四郎
松平定信は陸奥白河藩第3代藩主「大名」である。
松平定信は江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫
お堂なのか?蔵なのか?
松平定信の筆による扁額には蔵、説明板には堂
中には輪造が収められているので蔵ではないか?
私は蔵だと思っています。しかし成田山ではお堂と
「寒山拾得」
下に掲載した二つの彫刻はいずれも、「寒山拾得」である。
江戸時代の作と平成22年の作である。一切経堂には同じ題材の彫刻が、この様にあるが
昔も今も中国の故事や説話を題材としていることが分かる。
ホウキを手にしている人が拾得で、巻物を広げている人が寒山です。
いずれも中国の僧侶であり詩人です。
寒山は文殊菩薩・拾得は普賢菩薩の生まれ変わりとも言われています。
「巻物」を持っているのが寒山(左の人物)
「ほうき」を持っているのが拾得(右の人物)
拾得と箒(ほうき)
拾得は何故箒を持った姿で描かれるのでしょうか?
天台山国清寺の僧、豊干(ぶかん)に拾われてお寺に入り僧侶の賄い料理をつくり
又掃除などをしていた為、この様に箒を持った姿で描かれています。
拾ったものを拾得物(しゅうとくぶつ)と云いますね。豊干に拾われた故に拾得(じっとく)
輪 蔵
八体の鬼神が輪蔵を重そうに支えています。
普成(次男) 傅大士 普建(長男)
輪蔵を創始(発明)した西暦500年頃の中国の僧侶
偶然にも貴重な写真が取れました。
通常裏側にしている面が正面を向いていました。
私の疑問
或る日偶然にも、この面が正面を向いていました。
この黒い面は後方に回して通常見えなくしています。
輪蔵は八角形であるが、一面の扉二枚は真黒である。
修理ミスか?
八角形十六枚の扉には十二神将と四天王が描かれているが、
このうちどれか二つは描かれていないことになる。
画 竜 点 睛
江戸時代の作
通常「画竜点睛を欠く」と用いることが多い。
最後の仕上げが不十分で、肝心なところが
欠けている為、精彩がないことをいう。
画竜点睛(がりょうてんせい)の睛は(ひとみ)で
晴(はれ)と勘違いしている人も多い。
成田山仁王門の「司馬温厚の瓶割」
司馬温厚の瓶割
2010年作
成田山の仁王門(1831年)にも
「司馬温厚の瓶割」があります。
又日光東照宮の陽明門にもあります。
日光東照宮陽面門の「司馬温厚の瓶割」
司馬温厚の瓶割
成田山の仁王門右側面にあり1831年作
花頭窓
寄題仙遊寺
司馬温厚の瓶割
画竜点睛
菊慈童
許由巣父
諸葛孔明
信なき亀は甲を破る
寒山拾得
一切経堂の花頭窓
上段四面は一切経堂前側(江戸時代の作)
[新修成田山史]には二代目嶋村圓鉄作と記されていますが、
しかし嶋村圓鉄は1720年5月8日に亡くなっています。
一切経堂は1722年建立です。無くなった人の作とは、考えられません。
では彫工は誰か? 私の推測
嶋村家三代目を継いだ嶋村俊実であろう。
下段四面は一切経蔵後側(平成の作)
塚原桂昌氏作(成田山総門の彫刻のリーダーです)
火頭窓8枚の詳しい内容は下記ファイルを参照して下さい。
[信なき亀は甲を破る]
成田山の一切経堂花頭窓
水間寺(みずまでら)の本堂欄間彫刻(貝塚市)
二羽の雁が枝を咥えてその枝を
亀が咥えてぶら下がる。
この様にして亀を運ぼうとした。
その昔、ある池に1匹の亀が住んでいた。ところが、日照りが続き池の水がなくなり、
死に絶えようとしていた。そこで亀は雁に頼んで、別の池に運んでもらうことにした。
お互いに絶対にしゃべらないという約束のもと、亀が木の枝を咥えその枝を二羽の雁が
咥えて飛び立った。しかしぶら下がった姿がおかしいと子供達から笑われ、
どなって亀は落ちて甲羅をわってしまう。
今昔物語では雁でなく鶴である。寓話・説話などで少し内容は異なる。
今昔物語では、しゃべらないと云う約束をやぶり「ここはどこか?」とたずねた。
約束を守らないと、命を落とす事も 又 口は禍のもとこんな事を伝えています。
嶋村圓鉄のお墓
左甚五郎の再来と言われた名人嶋村圓鉄
成田山の光明堂や三重塔の十六羅漢は圓鉄の作
嶋村圓鉄は茨城県桜川市の雨引観音(雨引山楽法寺)にお墓があります。
嶋村圓鉄のお墓にお参りしてきました。 2017年6月撮影
嶋村圓鉄 1720年5月8日没
墓石中央には無関圓鉄の印刻
真言宗豊山派の寺院である楽法寺境内に、ひっそりと眠っています。
獅子頭
阿形・吽形
総門の項で獅子頭にも阿形と吽形があると述べましたが、
一般の方は、なかなか区別がつきにくいと思います。しかし
一切経堂の獅子頭は誰でも分かるように、大きく口を開いています。
霊獣、霊鳥などすべて阿形と吽形がある様です。三重塔で確認しましょう。
阿形の獅子頭
吽形の獅子頭
仙 人
探してみよう仙人を
一切経堂の彫刻には三人の仙人がいます。
菊慈童 (きくじどう)仙人
賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)***一切経堂左奥にあります。
寺社連続油被害事件
2015年頃全国の寺社が、千葉県では成田山や香取神宮等が被害を受ける。
一切経堂の右側扉にかけられた油の様な液体の痕
アメリカ在住の医師により全国48の寺社が被害にあった
成田山新勝寺も標的になった様です。
安西無恕の独り言
1.松平定信揮毫の「一切経蔵」の扁額が掲げられています。
しかし説明板には「一切経堂」と蔵ではなく堂となっています。
出来れば一切経堂ではなく一切経蔵にして欲しいですね。
扁額が泣いている様に見えます。
経蔵・経堂・経庫等とも呼びますから、間違いではないと思います?
2.説明板には火頭窓と「火」の字を使っていますが、
火ではなく花を使った花頭窓の方が私は好きです。
「火」「花」どちらを使用しても間違いではありません。